Fashionzine TOPへ ポスト ファッションが好きか。なら「裏原」ブランドのそのルーツくらいは知っておけ

    ファッションが好きか。なら「裏原」ブランドのそのルーツくらいは知っておけ

    122006
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    boom up the “urahara”

    裏原とそのルーツ

    「NOWHERE」がすべての始まり


    近頃、流行りのキーワードに90年代という言葉が取り上げられている。

    過去にも60年代や70年代といったブームはあったが、リアルタイムで過ごした時期がリバイバルされているのは、筆者にとっては少し複雑な心境である。

    当時、『asAyan』(ぶんか社)(※01)をはじめ『Boon』(祥伝社)(※02)や『Smart』(宝島社)(※03)など多くのファッション誌の編集に携わっていた経験をもとに当時のことを振り返ってみたい。

    特に深く関わっていた90年代の裏原宿という文化に焦点を当てていこうと思う。

    裏原宿という地域は竹下通りを抜けた明治通り沿いの一本裏側のあたりを指していた。

    今の《HEAD PORTER》(※04)《NEIGHBORHOOD》(※05)《SUPREME》(※06)のあたりのことである。まだ人通りも疎らで、家賃もそれほど高くはなく、原宿でお店を出店するには絶好の場所だった。

    *01:aSAyan

    test2ぶんか社が発行していたファッション雑誌。特に裏原宿関連の特集に力を入れていた。2003年9月号をもって休刊。

    *02:BOOn

    urahara-roots2デニム、スニーカー、ミリタリーなどヴィンテージ物に精通していたファッション誌。祥伝社から発行されていたが2008年休刊。2014年に復刊。

    *03:Smart

    urahara-roots3宝島社より1995年に創刊。当初はスタイリスト主導で誌面を構成しスタイリッシュな写真が多く、他のファッション誌とは一線を画していた。

    *04:HEAD PORTER

    urahara-roots4日本が誇る鞭メーカー「吉田カバン」に製作を依頼し、さまざまな業を手掛ける店舗。オーブンにあたって藤原ヒロシ氏がディレクションを務めた。

    *05:NEIGHBORHOOD

    urahara-roots5デザイナーである滝沢伸介氏が1994年にスタートさせたブランド。モーターサイクルカルチャーをベースに洋服を展開。

    *06: SUPREME

    urahara-roots61994年にNYで生まれたスケートブランド。さまざまなブランドやアーティストとのコラボレーション、ブランドならではの広告も人気。

    表参道、セントラルアパート、ラフォーレに対しての裏側ということから、そう呼ばれていたのだろう。

    そのひっそりとした地域に裏原宿文化の本格的なスタートといっても過言ではない「NOWHERE」、(※07)が1993年にオープンする。

    《A BATHING APE》(※08)のNIGO(※09)氏、《UNDERCOVER》(※10)JONIO(※11)氏の二人が始めたお店なのだが、わずか5坪という小さな店舗だった。

    二人とも文化服装学院の出身なのだが、彼らは学生時代から知る人ぞ知る有名人だった。

    『Cutie』(宝島社)(※12)のファッションスナップに取り上げられ、「TOKYO SEX PISTOLS(※13)といったバンドでの活動、JONIO氏に関しては学生時代から《UNDERCOVER》を立ち上げて洋服を売っていた。

    オープンしたお店はデザイナーブランドの(UNDERCOVER)、NIGO氏が買い付けてきたアメリカンカジュアルの洋服が売られていた。わずか5坪の中にテイストの異なった世界観が同居しているといった不思議な空間のお店だった。

    「M&M」(※14)というデザインチームが手掛けた内装も斬新であった。本来ならば下地に使う木材を全面に使うなど、今まで見たこともない内装であった。

    オープンした頃の筆者は、まだ学生だったのだが何度かお店に足を運んだことがある。

    当時の印象は一見さんお断りの雰囲気を持っていた。お店の地床にJONIO氏が座って仲の良い友人と喋り、お店の前にも仲間達が集まっていた。

    接客といったものとは無縁で、とにかく入りづらく中に入るにはすこし覚悟が必要だった。

    *07:NOWHERE

    urahara-roots71993年にJONIO氏とNIGO氏が原宿にオープンしたお店。店名はビートルズのNOWHERE MANという曲からインスパイア。ちなみに住所でいうと渋谷区神宮前4-29のあたり。

    *08: A BATHING APE

    urahara-roots81993年にスタート。正式名称はA BATHING APE IN LUKEWARM WATER。「ぬるま湯に浸かった猿」の意。ディレクターのNIGO氏が映画「猿の惑星」よりインスパイアされ、あのマークが誕生。

    *09:NIGO

    urahara-roots9《A BATHING APE》のデザイナー。現在はAPEを離れ《HUMAN MADE》というブランドを手掛けている。他に《ユニクロ》や《アディダス》といったブランドの一部ディレクションをしている。藤原ヒロシ氏に顔が似ているという理由でNIGOという名になったというエピソードは有名。

    *10:UNDER COVER

    urahara-roots10デザイナーの高橋盾氏(JONIO)と一之瀬弘法氏により文化服装学院在学中にスタート。パンクファッションに影響を受け、あえて切りっばなしの服など攻撃的な洋服を展開する。

    *11:JONIO

    urahara-roots11《UNDERCOVER》デザイナー、高橋盾の愛称。伝説的パンクバンド、セックス・ピストルズのボーカルであるジョニー・ロットンに似ていることから、この名がついた。

    *12:Cutie

    urahara-roots12宝島社の発行していた女性ファッション誌。若者に絶大な人気を誇りヴィヴィッドなコーディネイトなど“Cutie”スタイルを確立。

    *13:TOKYO SEX PISTOLS

    urahara-roots13学生時代にJONIO氏がボーカルを務めていた、セックス・ピストルズのコピーバンド。その完成度は、かのヴィヴィアン・ウエストウッドも認めたとか?

    *14 M&M

    urahara-roots14「NOWHERE」をはじめ《SUPREME》、《NEIGHBORHOOD》など裏原宿の多くの店舗デザイン、内装を手掛けた。椅子やベンチ、机などといった家具も手掛ける。

    「藤原ヒロシ」という原宿のキーパーソン


    この仲間達が集まっている人脈の広さが裏原宿の面白さでもあった。

    スケーター、俳優、モデル、DJ、オモチャマニア、ミュージシャン、バイカー、グラフィックデザイナー、内装業を営む者など、さまざまな人種が集まっていた。

    その中でもキーパーソンとなる人物が藤原ヒロシ(※15)氏だろう。彼の一言で「NOWHERE」がオープンしたという話を聞いたことがある。

    《UNDERCOVER》を知り合いのお店に少しだけ置いてもらっていたJONIO氏だが売る場所を探している彼に「それだったら自分達でお店を出せば!」と提案し、出店にあたりさまざまなサポートをしたのが彼だったと聞いたことがある。

    裏原宿の文化が本格的な形となって世に出てきたのは「NOWHERE」だが、その前からさまざまな人種を繋ぎ裏原文化の基礎を作り上げていたのは藤原ヒロシ氏であった。

    当時は携帯もインターネットもそれほど普及していなく、雑誌に告知されているクラブイベントに遊びに行くことで人脈が広がることが多かった。

    実際に藤原ヒロシ氏が主催しているイベントに学生時代のNIGO氏やJONIO氏など、のちに裏原宿で活躍するクリエイターが多く集まっていた。

    「NOWHERE」のオープン当初、NIGO氏は《A BATHING APE》を置いていたのではなくアメリカでセレクトしていた商品を売っていた。

    同じようなセレクトショップが原宿にでき始めたのを機に差別化を図るため、93年に《A BATHING APE》というブランドをTシャツから立ち上げる。

    そして《UNDERCOVER》はコレクションという形式で洋服を披露していたのだが、モデルに素人の友人達を起用するなど、明らかに他のモードブランドとは違う空気感を放っていた。

    《ONE AND ONLY》というJONIO氏が自分の手で作った一点物の《UNDERCOVER》の商品も売られているなど、今までに存在しないスタイルのお店だった。

    当時、NIGO氏とJONIO氏は『aSAyan』で“LAST ORGY3”(※16)という連載を藤原ヒロシ氏と共に3人でやっていた。

    もともとは高木完氏と藤原ヒロシ氏でやっていた連載のファンだった二人が連載の名前を引き継ぎ始まったものである。

    この連載の面白いところは自分達のブランドだけでなくオモチャ、音楽、家具、スニーカー、古着、映画、本など自分達が好きなものを取り上げていたことだろう。

    誌面のデザインも仲間のグラフィックデザイナーが手掛け雑誌内でもこの連載は異彩を放っていた。

    今でこそブログなどで簡単に動向や好きなものをチェックできるが、当時は雑誌でしか情報源はなく筆者も毎月のようにチェックしていた。

    この連載の効果もあってか徐々に「NOWHERE」は人気店になっていく。スタジャンが発売されたときなど明治通りまで長蛇の列ができていた。

    発売数が少なかったため、その分価値がつき人気はさらに加速していった。

    後にNIGO氏に聞いたことがあるのだが、プレミアを狙った策略でなく資金面の関係から単純に大量生産できなかっただけであった。

    *15:藤原ヒロシ

    urahara-roots15裏原宿の立役者。そして、ミュージシャンでもあり古い音楽にも精通。日本で初めてのDJとしても知られている。《NIKE》や《BURTON》などとのコラボなど、多くのブランドの一部アイテムも手掛けている。職業、藤原ヒロシというのが一番しっくりとくる、唯一無二の存在。

    *16:LAST ORGY3

    urahara-roots16藤原ヒロシ氏と高木完氏が雑誌『Cutie』で連載していたLAST ORGYをJONIO氏とNIGO氏が引き継ぎ『aSAyan』にてLAST ORGY3として連載していた。

    SKATETHINGのもとに夜な夜な集まる仲間達


    95年頃に筆者は、藤原ヒロシ氏と親交の深い編集者デッツ松田氏のアシスタントになり裏原宿の文化により深く関わっていくことになる。

    「NOWHERE」が今の「BAPE原宿店」の場所に移転した頃である。その頃になると彼らと仲のよい友人達のお店がいくつもオープンしていた。

    裏原ブランドと一括りにされていたが、バイカースタイルの《NEIGHBORHOOD》、オモチャを扱う《BOUNTY HUNTER》(※17)、NY発のブランドである《SUPREME》、古着を扱う「VINTAGE KING」(※18)、パンクスタイルの「FUNNY FARM」(※19)、スケートブランドの《HECTIC》(※20)などさまざまなスタイルのお店が、あの一角に集合していた。

    *17:BOUNTY HUNTER

    urahara-roots17文化服装学院でJONIO氏、NIGO氏と一緒だったヒカリ氏が立ち上げたブランド。スター・ウォーズのボバ・フェットから店名をインスパイアされ、洋服とオモチャを展開している。

    *18:VINTAGE KING

    urahara-roots18裏原宿にあった伝説的な古着屋。ミリタリーものに強く、他にも50年代、60年代ものと一番アメリカが勢いのあった古き良き時代のものを扱っていた。

    *19:FUNNY FARM

    urahara-roots19JONIO氏が《UNDERCOVER》とは別に立ち上げたパンクショップ。藤原ヒロシ氏とJONIO氏がやっているブランド、《AFFA》を中心にパンクアイテムを展開していた。

    *20:HECTIC

    urahara-roots20YOPPI(江川芳文氏)が立ち上げたショップ。プロスケーターとしても活躍しているYOPPIらしい東京スケーターファッションを提案。

    お店に行けば本人が店番をしていたりもした。

    本人が着ているものをチェックし、彼らの好きなものを掘り下げるなど多くの若者が影響を受け彼らのスタイルをこぞって真似した。

    取材でいろいろなブランドの事務所に行く機会が増えるのだが、訪れると他のブランドのデザイナーなどが遊びに来ていることも多かった。

    何気ない日常会話をしながら自分達が好きなものや、今ハマっていることを話している。

    特に《A BATHING APE》のSKATETHING(※21)氏のところには夜な夜な多くの人が集まっていた。

    *21:SKATETHING

    urahara-roots21《A BATHING APE》をはじめ数々の裏原宿のロゴを手掛けてきた。スケートシングの名はスケート晋ちゃんから。現在は《C.E》のグラフィックを手掛けている。

    決して表舞台に出ることはなく裏方として多くのブランドロゴを手掛けている人物である。裏原宿のオリジネーターと呼ばれ、多くのクリエイターが彼から影響を受けている。

    あの空間は、若かりし頃に友達の家に集まる感覚に近いものだったと思う。皆でゲームをしたり映画をみたり音楽や洋服の話など、ジャンルを問わずさまざまな話をしていた。

    そこから生まれた商品も数多くあるのだろう。

    面白いのは、どこかのアパレルブランドで働いていたわけではなく、彼らはいわゆるアマチュアだったってことだと思う。

    ただ、とてつもなくオタクであり、好きなジャンルに関しては誰よりも詳しかった。ジャンルこそ違うが価値観や感覚の近い同世代が集まり、より良い相乗効果を生み出していた。

    そして、このミクスチャースタイルこそ90年代の特徴ではないだろうか。ひとつのブランドだけでまとめるのでなく、モードブランドとストリートブランドや古着を合わせるなど、自分なりのコーディネイトで着こなすといったスタイル。

    そして、オモチャ、ヴィンテージ家具、音楽などにも精通し、より深く掘り下げ収集していく。

    今でこそ洋服と雑貨を同居させたライフスタイルを提案しているお店も増えたが、この文化的要素と洋服を合わせたライフスタイルの提案、そしてさまざまなジャンルが集まったコミュニティこそ裏原宿の特徴であり多くの若者を惹き付けた理由ではないだろうか。

    原宿文化を世界に発信したNIGO


    ここからは、多くの特集や連載などで筆者が特に深く関わっていた裏原宿を世界規模にまで成長させた立役者であるNIGO氏と《A BATHING APE》についてさまざまなエピソードを書いていこうと思う。

    当時の裏原宿プランドは新作ができたら卸先にFAXで絵型を送りオーダーを募っていた。今では考えられないが絵型のみで商品を見ずに卸先はオーダーしていたのである。

    会社としての基盤をしっかりとさせたいという理由からNIGO氏はシーズンで展開するアイテムを展示会形式で発表するようになるのだが、裏原宿プランドの中では初めての試みでもあった。

    彼の経営者としての才覚が発揮され始めた瞬間ではないだろうか。

    今でもよく覚えている出来事がある。

    アシスタントになりたての筆者にNIGO氏から「展示会をやるから見に来てよ」と誘われた。よく分からずに展示会場に行くと「欲しいものがあったら、この紙に品番とサイズを書いといて」と紙を渡された。

    当時の筆者にとって《A BATHING APE》の洋服は高価なものであった。金銭的に余裕もなく、この値段ならなんとか払えるかなとシャツとニットの2点を記載させてもらった。

    そして洋服が出来上がりNIGO氏から「よかったら着てね」とプレゼントされたのである。

    会社的な売り上げを考えたら駆け出しの筆者にプレゼントしてもブランドのプロモーションにもならない。

    当時、スチャダラパーやコーネリアスといったミュージシャンにも洋服を提供していたのだが、筆者にもプレゼントしてくれたことを考えると、NIGO氏はプロモーションというよりは仲が良い昔からの友人に着てほしいという想いのほうが大きかったと思う。

    今でも筆者のワードローブには、その時のアイテムがあり、今でも着ることがある。

    こんな話もある、今でこそあたり前になっている雑誌の付録だが、その先駆けは《BAPE》だったと思う。

    『Boon』という雑誌で特集をした際に《BAPE》のバンダナを付けたいと提案があった。

    当時のファッション誌でステッカーなどの付録が付いているものはあったが、バンダナなどの商品が付いているものは存在しなかった。

    このアイデアは昔の音楽雑誌に付いていたソノシートが好きだったという理由からだった。実際にその号の『Boon』は、今までの売り上げを大きく上回ったのである。

    彼が提案することは、なにもかもが斬新であった。

    洋服だけでなく仲の良いミュージシャンを集め赤坂ブリッツなどでライブの開催、さらにプロレスの興業、カフェ、美容室を仕掛けるなどアイデアと行動力は目を見張るものがある。

    子供だった主人公が突然大人になりオモチャ会社で斬新な企画を提案する『BIG』(※22)という映画があるのだが「その主人公の感覚に近いかな」と語っていた。

    子供の頃、無邪気に描いていたことを実現させていく。

    「これをやったら面白そうじゃない」という単純な理由からなのだが、このバイタリティは並大抵のことではなく、そう簡単にできるものではない。

    対極関係にある経営者とクリエイターという調和感覚にとにかく優れていたのだと思う。

    *22:BIG

    urahara-roots22トム・ハンクス主演の映画。子供が朝起きたら大人になり数々のアイデアでヒット商品を生み出す物語。NIGO氏は自分を引き合いに出すときに、よくこの映画のことを語っていた。

    世界規模のダブルネーム


    今ではあたり前になっているダブルネームアイテムだが、この始まりも裏原宿だったと思う。

    仲のよいブランドがひとつのアイテムをお互いでビルドアップしていくことだが、たぶん夜な夜な誰かの事務所に行ったときに、話が盛り上がり企画されたりしていたのかもしれない。

    NIGO氏は近い関係性でダブルネームをしていても面白くないと考え、世界的規模の飲料メーカーである《PEPSI》とのダブルネームを実現させた。

    マイノリティで知る人ぞ知るブランドだった《A BATHING APE》のカモフラージュ柄が《PEPSI》の缶に全面プリントされたのだ。

    あれが、世界への本格的な第一歩だったと思う。

    異常な盛り上がりだった裏原宿


    最後に裏原宿の全盛期と終焉はいつだったのか?

    と考えてみた。今の「HEAD PORTER」の場所に「READY MADE」(※23)というお店が、97年に出来たときが全盛期だったのではないだろうか。

    藤原ヒロシ氏がディレクションしたお店なのだが、《GOOD ENOUGH》(※24)、《NIKE》のダブルネームのスニーカー。その他にもさまざまな原宿ブランドのアイテムがセレクトされていた。

    *23:READY MADE

    urahara-roots23藤原ヒロシ氏がディレクションしたお店。1階はギャラリースペース、地下に洋服が置かれていた。電話番号も住所も公開されていなかった、伝説的なショップ。場所は現在の「HEAD PORTER」原宿店。

    *24:GOOD ENOUGH

    urahara-roots24藤原ヒロシ氏が友人達と立ち上げたブランド。《UNDERCOVER》、《A BATHING APE》原宿ブランドの中でも絶大な人気を誇る。特に人気のスタジャンはブランド古着屋でピーク時に50万円で取引されていた。

    新作が発売されれば即座に完売し、それらのアイテムがネットですぐに高値で転売されるといった、異常な状況が続いた。

    そして99年12月に閉店するのだが、そのお店には最後まで行列ができていた。そしてこの99年12月が終焉ではないだろうかと思う。同年、《A BATHING APE》、《UNDERCOVER》は青山にお店をオープンさせていた。

    裏原宿から生まれた文化が原宿から青山へ、その後に海外にも店舗を進出させていく。

    裏原宿という文化の終焉はミレニアムを迎えたと同時にネクストステージへと進化し、すでに裏原宿といったカテゴリーには収まらなくなっていたのだ。

    20年サイクルで大きなムーブメントが起きるといわれているファッション業界。1993年から22年が経ったいま、僕が知らないだけで面白く刺激的な文化がどこかで生まれているのかもしれない。